2024/06/01 2024/06/08
【ID23 小松 勇斗】結局自分は大学サッカーで何がしたかったのか
最近、ようやく就職活動を始めました。日々問いかけられるが、
「学生時代に最も力を入れたことは何ですか?」
皆さんもうざったるいぐらいしつこく聞かれるであろうフレーズだと思います。
就活活動と向き合う中で、前監督の泊寛太監督が言っていた
「大学サッカーで何がしたいの?」
この問いかけに日々ぶち当たりまくってます。最初は何言ってんだこの人、と思ってましたが、大事でした…笑
自分が大学サッカーでやりたかったことって何だったんだろう。結局「これだ!」という明確な答えは出なかったのですが、少しは言葉にできるようになりました。
非常に大雑把なのですがまず一つ目は、社会知らずな僕がICUFCのエンブレムを借りて、サッカー以外のフィールドについて勉強、経験を重ねて成長したかったんです。
僕が幹部を務めた年は、新型コロナウイルスの影響でサッカーをする時間が大きく限られました。
そんなある日のこと、同期のやつらとzoomをして、こんな話をしました。
「ねえねえ、俺ら“NIKE”目指そうぜ?」
その翌日から、チームをカッコ良くブランドするために、様々なグッズ作成、SNS向けの動画編集に日々を費やしました。
学生時代、永遠に美術の成績がDだった中村主将と、センス0のチームを結成し、NIKEを夢見ながらデザインした日々はいい思い出です。
「NIKEみたいな知名度得るには、スポンサー企業ももう一社必要じゃない?」
そんな話をした数ヶ月後には、貧弱な同期23幹部達と、某大手教習所会社の担当者の前にスーツ姿で並んでいました。
(ずっとよく分からなかったビジネスとやらに少しだけ触れることができました。)
本気でICUFCのファンを増やすために、近隣飲食店には皆んなで怒涛のポスター貼りに出動しました。
(煙たがられたこともありましたが、人生当たって砕けろです)
あげきれないぐらいたくさんの挑戦をして、失敗に終わったのですが、就活のエピソードだけは大量にストックすることができました笑。
二つ目にやりたかったこと、それは大学サッカーを通じて周りの人を笑顔にすることです。
ちょっと綺麗事ですが、ずっと自分のためにサッカーをやって、周りに守られながら生きてきたのだから、少し人の役に立ってみたいな…
そんなことを、20歳を超えて時々思うようになりました。
だからこそ今シーズン
試合が終わった後、監督やマネさん含むスタッフ陣、部員、後輩、皆んなが喜ぶ姿を見るために、ピッチ上では死ぬ気で闘いました。
膝の靭帯を切った時、「前十字靭帯断裂」と医者にガセ診断をされた夜は、本気でアシスタントコーチになって、スタッフとしてサポートすることを考えました。
こんな自分でもサッカーなら周りの人も幸せにできるかもしれない…
シーズンの最終節、100名を超える有観客試合で観客の方が笑顔になってくれるのを見た時「自分、大学サッカーやり遂げたな」と感じました。
結局、自分のサッカー人生、めちゃくちゃ成功することはできなかった。関東リーグ、天皇杯、そんなものとも無縁だった。
でも、自分はここ「ICUFC」で、サッカーで幸せになれました。
大学サッカー強豪校に属した大学生達よりも、絶対成長した自信があります。
あと約1ヶ月半、母校のサッカーコーチという形で少しだけサッカーに関わらせていただきます。
ここでもサッカーを通じて後輩達を少しでも笑顔にできたらなと、そんな風に思っています。
長くなりましたが、最後に自分の大学サッカー4年間を支えてくれた方々に短いながら感謝の気持ちを綴らせてください。
まずは前監督の泊監督。
泊監督は、間違いなく近年のICUFCの歴史を作り上げた立役者です。サッカーの基本や原則や、試合中の振る舞いの大切さは、泊監督に学びました。
本当にありがとうございました。
GKコーチの半田さん
高校生の頃から約7年間お世話になりました。半田さんには特に自分のパフォーマンスが上がらない時、いつも横で支えてくれました。
高校生の頃からずっと感謝しています。
フットボールダイレクターの長谷川大さん
大さんには、自分の「強み」を気づかせてもらいました。大さんの言葉、サッカー観は自分を選手として大きく成長させてくれました。
ありがとうございます。
そして、石塚監督。今シーズン苦しんだ膝の怪我明けにメンバーを外され、死ぬほど不貞腐れたことをここで謝らせてください(笑)
最後までそんな自分を、このチームを導いてくださりありがとうございました。来シーズンも引き続き、ICUFCをよろしくお願いします。
最後にみんな、本当にありがとう。
周りに恵まれた、最高の大学サッカーでした。
ICUFC、ずっとずっと大好きです。
小松勇斗