【ID26 芦澤柊人】5回の苦しみと1回の喜び
今年副将を務めていたID26の芦澤柊人と申します。
引退してからはジムでスクアットをして家系ラーメンを食べるという全く意味のない連鎖にはまっています。
少し長くなりますが、3年間ICUFCで戦ってきて感じたことを綴ります。
1年生
最初からサッカー部に入部するつもりだったが、新歓の時に初めてフィールドに足を運んだときはICUFCが思った以上に魅力的で正直驚いた。雰囲気は良いし、監督はなぜか選手と笑いながら気軽に話しているし、部活をやったことのない身としてマネージャーに支えられているチームはいいなと思った。
1年生の時はとにかく自分がスタメンになること、そしてチームを勝たせることに必死だった。自分の実力には自信があったからリーグ前期で途中出場が続いたときは悔しかった。特に一橋戦で1分も出なかった時は奎伍くん(当時の監督)をめちゃくちゃ恨んだ(笑)。
そこからスタメンで試合に出続けるよう毎週のように努力し、どんなに上手な先輩でもスタメンを奪ってやろうと思っていた。
たつろう君と毎週のように「今日お前スタメンじゃないんじゃね?」と言い合った(正直むかついたけど笑)。
とにかく試合に出たかったし、みんなで勝った時の喜びを分かち合いたかった。
でも心の底からサッカーが楽しかったし、ICUFCが大好きだった。
とにかく仲間といるときが幸せだった。
夜遅くまでフィールドに残って語った。
たくさん笑った。
ゼッツーした。
ゼッツーしすぎた。
リーグ最終戦で約100人の観客の前でサッカーができた時は人生の最高到達点を感じた。
2年生
2年生の時はずっと責任感を感じていた。チームを強くするんだ、点を決めるんだ、1部昇格するんだといろいろ考えすぎて自分に力が入りすぎていたと思う。特に前期で連敗が続いたときは苦しかった。
敗因がわからない、チームの雰囲気が悪い、点が決まらないと課題はたくさんあった。先輩と敗因を分析した。同期とチームの雰囲気を変えるためにはどうすればいいか話し合った。
結局明確な答えは見つからなかった。
でもこの時期は自分が一番成長したと思う。なぜなら人生で初めてチームのことを真面目に考え始めたからだ。
今までいくつものチームに所属していたが、僕は幼いときからずっとプロのサッカー選手を目指していて、正直チームより自分が強くなることに集中していた。チームの雰囲気が悪くても自分が上手くなることを考えていたし、チームのパフォーマンスよりも自分のパフォーマンスを重んじていた。
だからこの経験は矢印を自分からチームに向ける大きなきっかけになった。チームを考えて行動できるようになったし、自分一人の力だけではチームはどうにもならないことを学んだ。
3年生
そして迎えた幹部代。今年は主に二つのフェーズに分けられると思う。
一つ目のフェーズはチームの基盤を作るフェーズ。幹部になったときは何もかも崩れかけていて、監督探しや資金確保などまず部を存続させるために心を完全に奪われていた。
ある程度チームの土台が出来上がったら、実際にチームづくりに励むという第二のフェーズに入った。
僕が今年意識していたことはコミュニケーションだ。
僕はこれがいいチームの本質だと思う。伝えたいこと、伝えるべきことを伝えること、そして伝えられる雰囲気、環境をつくること。だからリーダーとしてなるべくいろいろな人と関わるようにし、自分の意見を発した。
後輩とご飯を食べた。
サッカー初心者の後輩にサッカーを教えた。
「なんで守備しないの?」と後輩に聞いた。
同期に言いたいことを言いまくった。有元さんにも(笑)。
そして時は経ち、10/13/24。
ICU祭の日、リーグ最終戦且つ自分の代の引退試合。
大勢の観客に見守られる中、試合に臨んだ。勝てばリーグに残留する可能性が残る一方、引き分け以下で3部への自動降格が決まるという大事な試合。チームも最高の状態で自分もコンディションが良かったから自信があった。
でも結果は0-3。内容は不甲斐なかった。自分のパフォーマンスもひどかった。
「俺17年間サッカーやってこんな下手だっけ」と自分に絶望した。
これで引退かぁ
1年間頑張ったのに3部自動降格かぁと。
正直めちゃくちゃ悔しかった。
ありえないぐらいモヤモヤした。
自分の引退に全然満足できなかった。
苦しみと喜び
普段ならリーグが終了した時点で3年生は引退となるが、僕は悔しすぎてリーグ戦終了後に開催されるトーナメント戦に向けて一人だけチームに残ることにした。
でもその選択肢をして心の底から良かったと思っている。なぜなら人生で一位二位を争うほどの喜びを味わうことができたからだ。
一回戦のPK戦で一つ上のリーグにいるチームに勝った時は、ありえないほどアドレナリンと脳汁がでた。
あるとき、イングランドの有名なサッカー選手であるデイビッド・ベッカムはこう言った。「サッカーをすると気持ちいいくらいアドレナリンがでる、だから辞められないんだ」と。勝った時のあの瞬間、ベッカムの気持ちが分かった気がした。
20歳くらいの男子大学生が普段はしないのに仲間と抱き合った。
ベンチを見たら同期が両手を上にあげて喜んでいた。
いろいろな苦しみを経験した一年だったが、一つ上のリーグにいる相手に勝てるほどチームは成長した。
そしてそのようなチームを作り上げることができたたことに対してこの上ない喜びを感じた。
振り返ると、この3年間たくさんの苦しみを経験してきたし、苦しんでいる仲間も何度も見てきた。
試合は負けて負けて負けまくった。
1年生の時に理科大に逆転された後、先輩が怒りのあまりベンチを蹴り飛ばしていた。
成城大学に1-13で負けた後、同期が赤ちゃんみたいに泣いていた。
2年生の時、神奈川工科に0-5で負けた後、久しぶりに悔しさで泣いた。
気づいたら、同期も先輩も後輩も泣いていた。
3年生の時、2部残留という目標を掲げていたのにも関わらず最初の2戦は大敗し、キャプテンマークを巻いていた自分は頭が真っ白だった。未来が見えなかった。
いらない怪我をしすぎた。夏休みに全治2か月のひどい怪我を足首に負ったその日にコロナにかかってしまい、合宿を欠席した。
でも5回苦しんだら、その苦しみを完全に払拭するほどの喜びを味わうことができた。
1年生の時に都留文に勝った時はマネージャー、プレイヤー、監督、スタッフ、全員が喜びのあまり抱き合っていた。
2年生の時に東工大相手に点が決まった時、復帰した24の先輩が観客席から大声を上げて歓喜の輪に加わった。
工学院戦に勝った時は嬉しすぎて思わずフィールドに倒れ込んだ。
今年、日本文化大学に勝った時、ゆうきくんとたろうが「俺サッカーやってて良かったぁ」と言ってた。その時、改めて「あ、俺このチームで闘ってきて心の底から良かったわ」、「サッカーに出会えてよかったわ」と思った。
そして上智戦に勝った時は有頂天になり人生初めてのうれし涙を流した。
サッカーが楽しすぎた。
ICUFCが楽しすぎた。
苦しんだ回数でいうと喜んだ回数よりも圧倒的に多かった。
でも一つ一つの喜びはかけがえのないもので、全て記憶に鮮明に残っている。苦しんだ回数は多くても仲間と笑ったり楽しんだり喜べば何とかなる。
だから苦しくてもサッカーは辞められないし、ICUFCもそう簡単には辞められない。
ゼッツーに例えると、りんたろうが5回負けて悔しがっても彼が1回でも誰かを倒して喜べば、気づいたらりんたろうがまたゼッツーに参加している。
一緒のようなものだ。
最後に、22~28から関わってくれた選手、マネージャー、スタッフ陣と素晴らしい3年間を過ごすことができました。
大好きな仲間と大好きなチームで大好きなサッカーをすることができて心の底から幸せでした。
本当にありがとう。
そして、今までICUFCを応援していただいた方々、ICUFCに関わってくださった方々、そしてICUFCを指導していただいた監督とコーチの方々に心の底から感謝申し上げます。
来年以降はきっとICUFCは東京都大学サッカーリーグという舞台に再び頭角を現すと思うので、引き続き応援していただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
芦澤柊人