【ID 27 雨ケ谷 湧星】宝探し
「ラバス バカラス」これはリトアニア語で「おはようございます」という意味です。それ以外のリトアニア語を学ぶことを諦めた ID 27の雨ヶ谷 湧星です。12月に入り、最近のリトアニアの天気は、一週間に1、2回晴になればいい方で、ほとんど曇りで、日の入りも16時ごろと、どうやってセロトニンを分泌すればいいのか体が困っています。先輩の引退ブログを今まで読んできたけれど、気づけば今は書く側になっていることに驚いています。とってもtime flies so fastって感じです。まぁ思いついたことから書くので、読んでくれたら嬉しいよ。
第一章「サッカー続けるのか問題」
プロになりたいわけじゃないし、気晴らしにボール蹴れれば十分。そんなことをぼんやり考えながら、入学式の前日にグラウンドを散歩していました。そこで初めて出会ったのが、だいごとりゅういちくん。ボールを蹴りながら、ICUFCがどんなチームかをざっくり教えてくれた。正直、週5の部活なんて入る気ゼロ。どうせレベルもそこまで高くないだろ、くらいに思って臨んだ初めての土曜練習。
結果、「あーICUFCまたか」。感想はこれで全部。
ゆうきさんとかいう爆速、あらたさんとかいう近寄りがたい先輩、気さくな笑顔の裏に悪魔を飼ってそうな27のさとる、小柄なのに化け物みたいなドリブルの選手権出場者。何度見ても現れるのは“強いチームの住人たち”ばかり。
「あーICUFCまたか」の理由を説明したい。端的に言うと「所属したチームがなぜかその年だけ歴代最強になる」という謎。小学6年生でサッカーを始めたとき、所属した少年団は強豪じゃなかった。それなのに自分がいた年は県優勝。中学は腰椎分離症でほぼプレーできず。高校は特に強くない茨城高校が、なぜか初の三部昇格。大学に入ったら、昨シーズンICUFCが二部昇格。いや、おかしい。本当におかしい。強いチームに入ったらスタメン取れないのに、なぜ毎回チームが強いの。誰に聞いても答えがわからない。
そんなこんなで、その日から二週間ほど練習には行かなかった。ただ、いいこともあった。それは26マネの篠塚育見さんとの出会い。彼女が“26のボス”だ。出会った理由は単純で、育見さんが茨城出身、そして同じ寮。知らない土地で出身が同じというだけで、人は一瞬でファミリーになる。この育見さんとの出会いが、あとから振り返るとICU生活の土台になっていった。
第二章「自分とは」
正直、大学に入るまで自分が人見知りだとは思っていませんでした。高校まではずっと地元で、幼稚園や小学生のころからの友達に囲まれていて、「初めて会う人たちと関係をつくる」という経験をほとんどしてこなかったからです。だからこそ、初めて会った人たちの中で自分を出すことが、こんなに難しいんだと気づきました。
本当はもっと騒ぎたいし、カズマやカイトみたいに、自然に笑顔で場を明るくできる存在になりたいと思うこともあった。でも、どうすればいいのか分からなかった。この環境で自分がどんな立ち位置で、どう振る舞えばいいのか迷っているうちに、気づいたら少しそっけない態度になっていて、表情も固くなっていたと思います。そのせいで、話してくれる同期が気を使ってくれているように感じることもあって、それが少し申し訳なく、同時に寂しくもありました。
東京に来てから、前より笑顔が減ったなと自分でも感じていた。実家が近いみんながすごく羨ましく思った。それでも、そんな自分にみんなは普通に、自然に声をかけてくれました。何気ない一言をくれたり。先輩の何気ない気遣いに助けてもらっていたと思います。
「信頼できる友達が欲しい」「気を許せる友達が欲しい」とずっと思っていました。
でもよく考えれば、新しい環境で最初からそんな存在がいるわけがなくて、いろんな人と向き合う中で、少しずつ合う・合わないが分かれていくものなんだと思います。それなのに自分は、その過程をちゃんと踏まずに、最初から打ち解ける努力を怠ってしまっていたのかもしれません。今になって考えれば当たり前のことですが、それを理解するのに3年もかかったと思うと、まだまだ自分は未熟だなと感じます。
第三章「挫折」
ちょっと暗い話が続くけどこの章も自分の中で大切な章です。
どのくらいかな4ヶ月は無断で休部してたかなスラックにあげる勇気もなくて、みんなに落ち込んでるなんて思われたくなくて、勝手に2年生の途中で休部しちゃったことを今でも後悔しています。原因は端的にいうと「自分の居場所」がわからなくなったから、サッカーを元気にするほどメンタルが安定していなかったあの頃をいまだに覚えている。私生活でも気持ちを打ち明けられる友達はいなくて唯一育見さんだけが心の支えだったと今振り返ると思います。ありがとうございました育見さん。
一年の最後ぐらいにサイドバックで公式戦で出てこのまま頑張ってスタメン入りたいなって時にその監督が急に辞めて、なんか新しい360度使う監督が来て、ポジションかき回した。(ほんとにGK以外のポジション全部やった自信ある)そのあたりからなんかサッカーがつまらなくなった。27のみんなはみんな上手で俺だけスタメン、ベンチすら入れなくなってサッカーのために時間を使うのがバカバカしくて練習に行かなくなった。でも今思うとそれでも続けるべきだったなと思う。その環境で学べたことはあると思うし、そこを踏ん張れたらもう少しだけ上手になれたかななんて思う。何よりみんなとただサッカーができる時間を失ったのが今振り返ると悔しかったなと思う。
27へ
みんなには「ありがとう」って心から伝えたいです。そして歩み寄ってくれたのに積極的に友達になろうとしてなくてごめんなさい。みんながいてくれたおかげでちゃんと引退できたし、辛かった時も飯いこ!って声かけてくれたのもすごく嬉しかった。みんなとの一つひとつの思い出が大学生活を彩ってくれました。みんなが空港にお見送りしてくれた時に自分には「信頼できる友達」がいるだって心の底から感じることができました。これからもどこへでも飛んでいくのでゲイパーティしようね:)
先輩26・25・24の皆さんへ
なんでか分からないけど、先輩たちにはいつも元気に話しかけられました。多分、6個上の兄がいて、小さい頃から兄の友達とよく遊んでいたからかなと思ってます。気づいたら、先輩という存在がすごく好きになってました。一緒に遊んだり、ご飯に行ったり、本当にたくさんの思い出ができました。本当は名前を出して一人ひとりとの思い出を書きたいんですけど、確実に長くなるので、それはまた今度にします。本当は卒業式でお花と手紙を渡したかったんですが、今リトアニアにいるのでそこは勘弁してください。サッカーの面でも、大学生活の面でも、めちゃくちゃ助けてもらいました。感謝しかないです。今まで本当にありがとうございました
後輩28 29へ
みんなサッカーうまくて、今後のFCを牽引していく姿を見るのがとても楽しみです。まぁサッカーの技術面ではなにも教えられなかったし、みんなの目にどう映ってる先輩なのかはよくわからないけど、辛いこととか大変なことがあったらいつでも相談して欲しいです。28はうまい子がたくさんいてみんな優しい笑顔をしていてとても微笑ましいです。一人ひとり個性があってそれが良いチームの雰囲気を作っていると感じています。29が入部してきた時は自分が27で一年気分だったのに、いつのまにかもう3年生であーもう引退なんだなって感じました。こんなにたくさん入部するとは思わなかったし、みんな高校生が抜けない感じで可愛かったです。(ゲイじゃないです)みんなの試合今後も応援してます。
マネージャーへ
何回足首を捻ったことか、調子が乗って来てよっしゃ頑張るぞ!って時にグキって後半はずっとテーピングしてた気がします。暑い夏も、寒い冬の朝練もプレーヤーを支えてくれてありがとうございました。みんなさんのおかげで試合が円滑に進み、快適にサッカーをすることができました。テーピングをしてくれたみんなさん、特に育見さんとみづきには感謝してます。萌夏のテーピングは、なかなかに芸術的です。ありがとうございました。
参考文献

