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国際基督教大学サッカー部(ICU FC)公式サイト

2025年度卒

2024/06/03 2024/06/03

【ID25 吉田 昌志】エンブレムの向こう側に

プロローグ

  「お疲れ様です」。その一言でいつもICUFCを思い出すようになるだろう。多分この先も、ずっと。

第一章 「光芒」

 爽やかな日差しがグラウンドを彩るよく晴れた日の午後、桜が散るのも早いなと時代の変化を感じながら、いわゆる純ジャパの、しかもおのぼりさん(※1)がサッカー部の体験に参加したのは、2021年4月7日だった。さっきカレンダーのアプリを見返してみたら、調子に乗ってちゃっかり”Football”と英語で予定を入れていた。なんとなく恥ずかしい。そういえば、zoomでの新歓に参加したときに、カメラオンにしていたのはまなみと僕だけだったのを今でも覚えている。入部してから2年半も経ったのか。なかなか長い大学生活である。

 僕は時間の流れがあっという間と言う人を若干敵対視(?)している節がある。高校の先生にも一人、同じ考えを持っている人がいたが、色んなことに笑って、怒って、泣いて、悩んで、どこが「光陰矢の如し」(Time flies)なのだろうか。このブログを読んでくださるみなさんには是非、一分一秒を噛みしめてほしいと切に願っている。ちょっと過激かもしれない。

※1 筆者は滋賀県出身の関西人である。

第二章 「所以」

 さて、ICUFCに入部を決めたきっかけだが、その理由は単純明快で、サッカーがもう一度やりたかったからである。小学5年生から地域のスポーツ少年団で始めたサッカー。言葉を選ばずに言うと、くそ弱かった。全国大会は地区予選一回戦敗退。中学でも部活動に入ったが同じく、くそ弱かった。多分2連勝が最高連勝記録。楽しくなかったわけではないが、色々な意味で成長しづらい環境にあると感じていた。次に高校生。部活の体験に行ってみたその日は、自主練をしていて途中から先生が来たのを覚えている。こんなものか、と弱小チームでプレーしていた僕でさえ肩を落とすような練習っぷりだったのに加え、先生の登場と共にやや真剣になる様は、入部をしないのに十分すぎるくらいの理由だった。実は同じ高校出身の某T先輩(※2)には申し訳ないが、正直入らなくて正解だったと今でも思っている。そして大学生。ここで一生懸命サッカーに取り組む環境がなかったら、もう部活もサークルも何も入らないつもりだった。実際、サッカー部以外どこにも見に行かなかったし。というわけでICUFCの体験に参加したのであった。

 結果は、今の僕が物語っている。このチームでサッカーをやらないわけにはいかない。そう心から言えるほど、当時の僕にとって衝撃的な環境だった。まず、先輩が優しい。異常なくらい。サッカー部に集まった彼らだけがそうなのかは分からないが、とにかく暖かい雰囲気だった。国籍も人種も関係ない。みんながサッカーに夢中な環境。昨今多様性を声高に叫んでいる風潮がみられるが、そんなもの求めなくてもICUFCには既に存在していると僕は思っている。メンバーは変われど、今のチームにもその系譜は続いていよう(と言ってくれると先輩としては嬉しい)。

 次に、前監督である泊寛太氏(※3)の存在は大きなものであった。寛太君は、「勝っても負けても将来に何も関係ないことに馬鹿みたいにどうして全力を注ぐのか」、「大学生という貴重な時間をサッカー部に費やすことが自分にとってどういう意味を成すか」と部員によく問うていたのを覚えている。サッカーを通してそんなことを考える人はこの世にどれくらいいるのだろうか。大抵の人は勝敗にしか目が向かないであろう。僕のサッカーに新たな光が差し込んだ瞬間であった。

 そして、ピッチ外でも真剣に取り組むことのできる人たちの姿は実に輝かしいと、僭越ながら尊敬の念を抱いている。例えば、都学連の仕事、プロモーション、試合の交渉、グラウンドの調整に加え、バイトやインターン、学業、他のサークルの活動等、多岐にわたる活動を行っているメンバーがたくさんいる。自身も経理部長を務めていたが、組織の一員として役割を果たしたことは将来役に立つと自負している。

 これらが僕の中でICUFCをICUFCたらしめるものであり、定義であると言ってもいいかもしれない。社会全体でみたら大学の一部活でしかないかもしれないが、そこに価値を見出すことができたのは自分自身のみならず、チームのみんなの努力の結晶である。

※2 23の某坂本先輩。Youtubeチャンネルを開設しており、最近はラジオも始めたらしい。無類のストイックさには恐怖を覚える。
※3 来シーズンより鎌倉インターナショナルFCの監督に就任することとなった、ICUFCの前監督。筆者は1シーズンしか共に過ごせなかったものの、彼の哲学は今もなおFCに根付いていると思う。背は低い。

第三章 「変革」

 そんなICUFCで史上初の東京都2部リーグ昇格を経験した1年生の頃であったが、2022年シーズンから新監督には石塚奎伍氏(※4)が就任した。僕にとっても、同じチームに在籍する中では初めての指導者の交代であったので、楽しみと不安が入り混じっていた。特に昨年度は思うような結果が出ず、言葉にできない難しさを抱えていた人も多いと思う。

 しかし、その中でも色々な学びを得たことは確かである。まずは、「自責」。悪いことがあったときに外部のせいにせず、矢印を自分に向けられる選手になること。もともと人のせいにすることは嫌いであったが、更にその考え方が強固なものになった。次に「熱狂」。僕は人と交流することは苦手ではないが、筋金入りの内向的な性格であると自負している。MBTIで言えば、INTJ(建築家)。Introvertだ。空き時間の過ごし方はゲーム、散歩、Youtube、読書、外国語学習ぐらいで、決まった友達としか遊ばないし、人混みは嫌いだし、団体行動も好きじゃない。基本的には感情じゃなく理屈で動くタイプなので、熱血とかパッションなんて蚊帳の外である。そんな僕でも、奎伍君が掲げた熱狂を届けるアドレナリンフットボールについていこうと頑張った。目標に対して努力を積み重ねようと思った。自分が出来なかったプレーに挑戦した。内在的な価値観が変化し成長していったのは、ICUFCでの経験によるところが大きいと振り返る。

 倍以上に試合数が増え毎週のようにあったリーグ戦も、6vs6くらいしか出来なかった霜が降りる冬の朝練も今となってはいい思い出だ。年を重ねたことはもちろん要因の一つではあるが、新しいチームと一緒に新しい自分も成長していったと感じている。2人の監督、先輩、後輩、そして同期。仲間を通して喜びを分かち合うことの楽しさに気づくことができた。サッカーをする仲間がいることの幸せを感じた。ありふれた言葉かもしれないが、単純かつこの上なく分かりやすい形容の仕方だと思う。
※4 野球部出身であるICUFCの現監督。テクニカルエリアをしばしば飛び出すほどの情熱にあふれている。まだ例の女性にプロポーズを続けているのだろうか。

第四章 「怪我の功名」

 かくいう私も1年生の頃から怪我を多発しており、まともにプレーできたのは3年間で2〜3割程度であった。大学に入るまで大きな怪我は無かったので、プレーを外からみることはある意味で新鮮な経験であったと感じている。最初の怪我は右膝の骨挫傷。入部して2回目の紅白戦でK先輩(※5)と接触したところから怪我との付き合いは始まった。3週間ほどの休養だったと思うが、復帰後すぐの紅白戦でも同じ個所を負傷。これも某H先輩(※6)との接触であった。同じ箇所を怪我したため、快復にはやや時間がかかった。8月に入ってから復帰し、しばらくはプレー出来ていたものの10月頃に首を怪我。寝違えたような謎の痛みが1か月ほど続くという、なんとも不運な出来事に見舞われ、そのままシーズンを終えた。原因は多分、課題でパソコンの触りすぎ。余談だが、現在は僕のメジャーである言語学のファンデの課題に苦しめられたのを覚えている。
 
 新チームになり、冬学期から春休みまではいたって健康にサッカーが出来ていた。しかし、2022年4月21日にターニングポイント(?)が訪れる。腰椎椎間板ヘルニアだ。ドイツ語の授業中に急に腰が痛くなり、後日病院に行くとヘルニアが発覚した。明確な原因は分からなかったものの、なってしまったものは仕方ない。何種類もの治療を繰り返し、最終的にはヘルニコアという手術も行った結果、やっと回復することができた。その間7ヶ月。25の代として初めての公式戦である、11月の東京カップにも間に合わなかった。せいりゅうの伝説の試合としても有名な朝鮮大戦は、ピッチの外から見ていた。当時1年生だった26のみんなには、プレーヤーと思われていなかったような気も若干する(笑)。せっかく怪我も治り思い切りプレーが出来ると思った矢先、出鼻をくじくようなヘルニアであったが、治るまでは他人のプレーを観察して上手くなろうと切り替えた。ボールを蹴ることは叶わなかったが、ICUFCの一員としてチームをサポートできたとは思っている。

 その後、腰の経過は順調で12月からプレー出来ていたものの、右ふくらはぎの肉離れやシンスプリントの痛みなど、時々中程度の怪我をしながら新シーズンを迎えようとしていた。一方で、以前と比べれば十分にサッカーを出来ているという実感もあった。進歩である。そして2023年シーズンの開幕、27の入部。ベンチにも入れるようになってきたし、そろそろ試合にも出れそうだと自信がついてきた時にまた怪我。後輩の某T君(※7)がクロスをあげようとしたところに、スライディング。ナイスブロックと思った瞬間、右足首に痛みが走り、そのままピッチからフェードアウト。結果は、足首の剝離骨折だった。人生初の骨折。また見学人生が始まるかと若干落ち込んだものの、怪我には慣れっこだという落ち着きもあったと思う。そして夏休みに入ったころに復帰。ヘルニアの影響もあって右足は全体的にボロボロだったが、気合でシーズンを乗り切った。公式戦は都留文戦の1試合しか出場できなかったものの、楽しいシーズンであったと感じている。

 もう怪我できるところはないくらい怪我を重ねたが、一方で別の収穫もあった。見学中にマネージャーとたくさん話すことができたのは、チームをより俯瞰するのに大いに役立ったと思っている。聞いた限りだが、マネさんの入部の理由も人によって案外異なるし、何ならサッカーに興味が特段あるわけでない人も多い気がする。選手に関しては、正直サッカーバカしかいないと思うが。プレーを見る視点も違うし、ピッチ外の運営面などに対する考え方も結構違う。キックアウトで新キャプテンが、新チームの目標は「コミュニケーション」と言っていたが、選手には是非マネージャーともっと話してほしい。一方に意見を合わせる必要はないが、お互いの協力はチームとして活動していくために欠かせない。思わぬところで良い刺激が得られるはずだ。

 これぞまさに、怪我の功名である。怪我をしたとて、腐らない。諦めない。すぐに復帰できなくても自分にできることは何かしらある。現役選手にも怪我している人が多くいると思うが、グラウンドにいることだけであっても、チームにとって意外と大きな存在になるかもしれない。怪我をしていても立派なICUFCの一員だから、頑張って。あとは、身体を大切に。

※5 24の某望月さん。爽やかな笑顔にあふれている。面倒見がよく、三鷹大沢から自宅まで筆者をクルマで送ってくれたこともある。性格は多分サイコパス。
※6 22の某松本さん。セプテン。生粋のスパーズ(トッテナムファン)である。とても親切だったが、時折放送できないような悪口を英語で連発していた。
※7 27の某八瀬尾君。多分うちで一番サッカーが上手い。ポジションの関係上、よくマッチアップしていた。経理部も頑張れ。

第五章 「雑筆」

 文字数に制限はないと伺ったのですが、そろそろ5000字に到達しそうなので読者のみなさんは飽きてきた頃かもしれません。このまま行くといくらでも書いてしまうので、最後はこの場を借りて、同期へのメッセージでも綴って締めにします。何となく不公平が生じそうなので名前順で。

 かいと
 キャプテンお疲れ様。やっと引退まで来たね。自分では幹部の中で1番何もしてないっていつも言ってたけど、それくらいでちょうど良かったんじゃない?(笑)。怪我も多くて大変やったと思うけど、チームをまとめてきてくれてありがとう。頼むからウイイレはもう少し手加減してください。

 がく
 ICUFCのエース(?)。お調子者のがくが今シーズン、こんなに点数を決めるとは思ってもいませんでした。がくが前十字靭帯を大怪我してたときは、よく一緒に見学していたのが懐かしいです。留学頑張ってね(受かったら)。友達が途中下車したという恐怖のドライブにも早く連れて行ってください。待ってます。あとゼッツーもしようね。

 かなた
 ものは借りるしすぐおごれって言うし、弟みたいなくせに実はお兄ちゃん。途中で入部した割には一番一緒にいた気がする。あんまり怪我せずにずっと試合出てて実はすごいと思ってました。人前ではあんまり騒がしくないけど、プライベートではバチバチにふざけ倒してるのもおもろい。続きはてつの家で。 

さとし
 一生名前間違えられる。25にも。そろそろ改名してくれ。さとしは何となく波長が合っている気がします。似てるところ多いかも。楽しいときも困ったときも色々支え合ったね。幹部もお疲れ様。今年の夏の箱根旅行は控えめに言って最高でした。そろそろドイツ語で話しかけてくれてもいいよ。

 せいりゅう
 FC一のムードメーカー。せいりゅうがいるとみんな明るくなります。最初からいたような感じで、すぐチームにも馴染んだ気がします。ずっとあらたに怒られてた印象があるけど(笑)、一生懸命声出してチームを盛り上げてサッカー頑張っている姿を尊敬していました。本はそのうち返します。マラソン頑張って。

 てっぺい
 みんなからお父さん扱いされてるけど、僕的には近所のおじさんです。いっぱい遊んでくれてありがとう。一番ちょっかいかけやすいです。そろそろ好感度ランキング上位に食い込みたい。その自己犠牲の精神は見習うばかりです。早くお金貯めてどっか遊びに行こう。麻雀はとりあえず卒業するまでは継続で。

 まなみ
 学連も学生幹事もお疲れ様です。いつも仕事を抱えてるイメージがあったけど、裏でチームを一番支えてたんだと思います。経理部との協力も悪くなかったね。なんか怖い先輩みたいなイメージついてたけど、多分本当はとっても優しい人だと思います。多分。あと、そろそろ予定を自分で立てることを覚えてください。

 みきと
 一応(笑)。一緒にサッカーした期間は短かったし、正直どんなプレーしてたか覚えてないけど、出会ったときはよくFCの服を着ていて愛があったんだなあと感じました。いや、ウィンブレが便利なだけか。ミッキーは話していて頭がキレキレなので、また留学から帰ってきたら飲みにでも行きましょう。

 ゆうい
 8月の超暑い日に、ゆういが体験に来たのを覚えています。いつも優しくて面白いけど、たまに過激な発言をするのが個人的には結構好きです。ゆういの大声にはみんな鼓舞されて元気が出たと思います。3級審判の資格も無事に取れたし、後輩に頼まれたら来年は一緒に行こうね。外交官になるのも楽しみにしています。

 ゆうき
 根っからの甘えん坊さんでいつも「まさしー」って頼ってきていたね。問題児だったけど、25の代になってからすごく大人になったと思います。よく家にも泊まりに来てたけど、すぐ寝ちゃうのが印象的でした。ゆうきは将来のビジョンがハッキリしているので、頑張って達成してください。応援しています。

 ゆりの
 とにかくお世話になりました。コロナかかったときとか感謝しきれません本当に。テーピングもありがとうございます。ヘッドマネもお疲れ様でした。あとはしょうもない雑談とかよくしてましたね。あ、そういえばカレーまだ作ってない。予定立てといて。言語に関係することだったらいつでも聞いてください。

 25は良くも悪くも自由気ままで、協調性が無いようにみえます。遊びに行く予定とか全然誰も決める気ないし。でも、実はみんな自分の芯をしっかり持ってるんじゃないかなと個人的には思います。1年生の頃はハズレの代みたいに言われてた気もするけど、今シーズンはある程度勝ちも積めて良かったです(主に優秀な後輩のおかげ)。人数も少ないのにみんな怪我ばっかりして大変でしたね。でも、そんな25でよかったと思います。残りの大学生活も楽しみましょう。そして、またサッカーしましょう。

 メッセージ欲しかったら誰でも教えてください。口で言うより書く方が得意なので。

エピローグ

 これからICUFCに関わる人に出会ったら、ちょっとだけ贔屓したい。特別な時間を与えてくれた恩返しに。

吉田 昌志